大判例

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東京高等裁判所 昭和55年(う)989号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

〈前略〉

法令適用の誤り等の主張について(控訴趣意第一)

所論は、要するに、大麻は、使用者個人にとつてもまた社会的にみても無害であるし、仮に有害であるとしてもその程度は小さいのに、栽培、輸入、輸出について懲役七年以下、所持、譲り渡し、使用等について懲役五年以下という重い刑罰をもつて臨む大麻取締法の罰則規定は合理性を欠き、個人の尊重を規定した憲法一三条、法の下の平等を保障した同法一四条、残虐な刑罰を禁止した同法三六条、さらに適正手続を保障した同法三一条に違反するから、大麻取締法三条一項、二四条の二第一号を適用して被告人を懲役刑に処した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤り等の違法がある、というのである。そこで原審記録及び当審における事実取調べの結果を参酌して検討する。

大麻及び薬物濫用に関する全米委員会の一九七二年報告(以下一九七二年報告と言う、大麻に関する翻訳資料集登載)には、

少量の「ありきたり」の使用では、マリファナに酔つている個人は、幸福感を味わう。最初の不安定感とはしやぎ状態は、やがて夢見心地の、気苦労のない解放感となる。時間と空間の拡大感などの感覚の変化がある。そして触覚、視覚、臭覚、味覚、聴覚がより敏感になる。空腹感が訪れ、特に甘いものがやたらに食べたくなる。思考体系と表現にわずかな変化がある……。

より高い、中度の用量になると、これらと同じ反応がより高まる……。当の個人は急激な感情の変化、感覚像の変化、注意力の減退及び思考断絶、発想の飛躍、直近記憶の障害、連想障害、自意識の変化、そしてある者にとつてはどう察力の高揚感といつた思考表現体系の変化を経験するかもしれない。

非常に多量の使用の場合は、幻覚症状が起こるかもしれない。その中には肉体感覚のゆがみ、自意識の喪失、感性的精神的幻想、空想、幻覚などが含まれている。(以上四八頁以下)

マリファナは、他の精神作動的物質と同様、主として精神過程と反応(知覚機能)に、そしてその結果として、精神過程に導かれた運動神経(精神運動機能)に影響を与える。……そうした障害は陶酔状態の間にいろいろ変化し、最高の陶酔状態のとき最大になる。……知覚、精神運動機能へのマリファナの影響は、それゆえ、高度に個人的なものであり、予測が困難である。(五〇頁)

まれには完全な精神異常状態が、マリファナによつて誘発される事例も見られる。……また、極めて大量の服用の後に不特定の中毒性精神異常が、まれに起こることがある。(五一頁)

……ある体質をもつた個人は、潜在的な精神異常やその他の不安定性が顕在化することもありうる。マリファナ使用者全体からみれば強度の精神異常状態が発生するのはまれであるが、そこまでには至らない程度のものはそれほどまれではなく、その個人と、その異常状態が起こつたときにその回りにいる人々の両方を危険にさらすことになりかねない。(七三頁以下)

とあり、

「キャナビスの使用」WHO科学研究グループ報告(WHOジュネーブ一九七一年)(以下WHO報告と言う。前同資料集登載)には、

……キャナビスの使用による症状と徴候の性質及び強度は、一般に用量に伴つて激化する。……高度の用量においては、通常、急性の中毒状態を呈し、その主要な現れの中には、偏執的思考、錯覚、幻覚、自我喪失、妄想、錯乱、不安、興奮などが含まれることが多い。そうした症候は急性精神異常に似ていることもある。時には、せん妄、見当識喪失、顕著な意識の混濁といつた、中毒性精神病の症候もみられ得る。更に他の事例においては、仮想恐怖による動揺と興奮が特に顕著である。……急性中毒に似た症候は比較的少量のキャナビス、例えば一本のマリハナタバコ吸煙によつても、特に「むくな」(すなわち、それまでにキャナビスをまつたく用いたことがないか、ごくまれにしか用いたことがない―一七八頁)使用者の場合には、発生することがある。(一七九頁以下)

とあり、

マリファナと健康 保健教育福祉長官による連邦議会に対する第八次年報(一九八〇年)訳文写(その二)では、

大麻による陶酔に伴い、精神過程のもうろう化、見当識喪失、錯乱、顕著な記憶障害等の特徴を含む急性脳症候群が生じることが報告されている。このような症候群は、マリファナの服用量に関連する(異常に多量の服用量では顕著に関連する)ものであり、生来の人格よりも服用量により決定されるものと考えられている。(一六頁)

……十分に実証された精神分裂病の四症例に関する報告書中に、詳細な内容で報告されており、それによれば、マリファナを使用する前には、その精神異常状態が少なくとも部分的に軽快していた患者が、マリファナを使用することにより、その精神病症状が悪化したことが確認されている。(二〇頁)

とあり、

さらに弁護人提出の証拠であつて、大麻について理解を示していると解される小林司に対する証人尋問調査写(以下小林証言と言う。)でも、

大麻には幻覚作用があり、非常に敏感な人は大麻煙草を三服ぐらい飲んでも幻覚が現れることがあるかも知れないのに鈍感な人だと一本全部飲んでも幻覚が出ないということもあるかと思う。……非常に個人差があり、飲む時の環境状況と期待により異なる。

との旨、

同様アンドリュー・ワイルに対する証人尋問調書写にも、

マリワナを吸つた時、その環境とか人により錯覚、幻覚、人格喪失や、妄想、混乱、精神不安定、興奮が起きうる。中程度使用をした場合、情緒の急激な変化、感覚的心像の変化、注意力の鈍磨、想像の飛躍、直接記憶力の減退、連想の混乱等の症状が起きることがあるかも知れない。多くの人は物体表象の歪み、離人感、感覚的精神的錯覚、幻覚等を楽しむため吸つている。

との旨、

述べられている。

判旨以上のほか関係証拠を総合すると、大麻(マリハナ、マリファナ、またはマリワナ)には、その有するテトラ・ヒドロ・カンナビノール(THC)が、人体に対して思考分裂、現在・過去・未来の混在、時間・空間感覚の錯誤等のほか、幻視・幻覚・幻聴・錯乱・妄想・分裂病様の離人体験等をもたらす精神薬理作用があること、その影響には個人差が大きく、人によつては比較的少量でもそのような症状の発現があること、長期常用により人格水準の低下が生ずること、すなわち無気力・無感動となり向上心に欠けたり、判断力・集中力・記憶力・認識能力の低下をもたらすこと、このような大麻の精神薬理作用は、自動車運転、機械操作その他微妙な精神運動上の正確性と判断を必要とする作業に影響を及ぼし危険を招くおそれがあるが、個人は大麻が自己にもたらす精神諸反応の詳細を予測できず、客観的・技術的に人体に存在する大麻の量を測定・窺知することも不可能とされていることが認められるほか、その薬理作用の精神に及ぼす発現機序、すなわち脳に対する作用や、慢性使用の結果人体にもたらす害悪の詳細はいまだ判明していないことが認められる。このように大麻はその精神薬理作用そのものが個人や社会に有害な影響を及ぼすばかりか、その薬害等の詳細がいまだ解明されていない以上、国民の保健・衛生の向上と社会の安全保持をもその責務の一つとする国家が立法政策上、大麻を単なる個人の嗜好品等として放置することなく、その使用やそれにつながる譲り受けその他の所為を刑罰で規制することは相当であるといえるし、現行の大麻取締法による規制の範囲・程度が合理的根拠を欠き、立法における裁量の限界を逸脱しているものとは認めることができない。

所論は「マリワナに関する最新の研究」ローリングストーン誌一九七四年一月一七日号に掲載のアメリカ文部・厚生省委託の調査報告書には、「染色体、血圧、血液の組成、新陳代謝、肝臓機能、呼吸器、脳室撮影図に異常ないし問題となるような差異がなかつた。」等とされていること、あるいは「一九七三年度における世界のドラッグ事情」エンサイクロペテイアブリタニカ一九七四年版掲載のマリワナ調査委員会最終報告書には、「薬物依存がないこと、脳細胞の病態化を証明する資料がないこと、染色体・奇型児発生・突然変異に対して影響を与える証拠を見出しえなかつた。」等とされていることを根拠として、大麻が無害であり、その処罰に合理性がない、とも主張するのであるが、これらは大麻の有する前記認定の精神薬理作用以外の点について記述されているに過ぎないのであるから、右各資料の記載を基にして大麻処罰に合理性がないとすることは相当でないといわなければならない。また大麻が仮に有害であつてもこれを酒・煙草との比較において処罰の不合理を主張する点につき検討すると、大麻と酒・煙草とは人体に対する作用の面で異なり、一概にそれらの有害性を比較すること自体適当でないばかりか、酒・煙草は、その有害性が問題とされる以前から多年にわたり国民一般に嗜好品として親しまれ、すでに日常の国民生活のうちに定着し、それなりの効用も認められている反面、その有害性・危険性の程度や発現形態等も広く一般に知られているため、その使用についてもそれなりの対応の姿勢ができていると考えられること、また、未成年者喫煙禁止法、未成年者飲酒禁止法、酒によつて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律等によつてすでに一定の規制措置が講じられていること、仮に酒・煙草を全面的に禁止するとした場合の国民に対する影響の大きさや禁止の実効性を期し難いこと等、大麻と同一に論じえないところが多いのであるから、大麻に対する規制が酒・煙草に対するそれに比して厳格に過ぎ、取り扱いに不均衡があるとすることはできない。

以上の理由により原判決が適用した大麻取締法の規定は所論の掲げる憲法の各規定に違反するものとは認められないので、原判決には法令適用の誤りはなく、また判決書自体に徴しても理由不備の違法も認められないといわなければならない。

理由不備、事実誤認の主張について(控訴趣意第二の一)

所論は、要するに被告人がトニー・フェリシアーノ(以下トニーと言う。)から譲り受けたとされている本件の品物は押収されておらず、鑑定はこれと同一性を欠く押収物についてなされているのに、原判決はその鑑定に基づいて本件の品物を「大麻」と認定し、さらに、大麻取締法が規制する「大麻」とは原則として大麻草(カンナビス・サテイバ・エル)及びその製品をいうのであるが、カンナビス属にはカンナビス・サテイバ・エルの外にも少くともカンナビス・インデイカ・ラムやカンナビス・ルーディラリス・ジャニという種があるのであるから、本件品物が「大麻」であるというためには、これがカンナビス・インデイカ・ラムまたはカンナビス・ルーディラリス・ジャニではなくカンナビス。サテイバ・エルという種であることをも証明されなければならないのに、その証明がないまま原判決がこれを「大麻」と認定したのは理由不備、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。

そこで検討するとトニーの司法警察員及び検察官に対する各供述調書謄本、司法警察員作成の捜索差押調書謄本、藤田進外一名作成の鑑定書謄本、証人藤田進の当審公判廷における供述、その他関係証拠によると、藤田進外一名が鑑定に供した品物はトニー方で押収されたものであるが、鑑定の結果大麻の固有成分であるカンナビノイドが検出され(カンナビノイド中のテトラ・ヒドロ・カンナビノールが人工的に合成できるものであるにせよ、右鑑定に供された品物から検出されたものが人工的に合成された部分であるという蓋然性は本件の場合まず考えられないところである。)、かつ植物形態学的観察によつても大麻草特有の葉表面の剛毛が確認されていること、その押収物申相当部分は本件と同一品質の物と認められる品物であること、また、押収物やその余も含めすべてをトニーがトム・ミムナウから出所を同じくし大麻として仕入れたものであること、本件品物もその取引の際トニーと被告人がこれを吸つて効果を確める等大麻として使用し、大麻であることを認めて取引されていること、その他本件品物が大麻であることに疑念を生じさせるような事情・状況は皆無であることが認められ、これらに照らせば、本件品物を「大麻」と認定した原判旨判決の判断は相当である。なお所論がカンナビス属には、カンナビス・サテイバ・エル以外の種があることを前提にして原判決を論難する点につき付言すると、「カンナビス属に関するアメリカの法律と種の問題」アーネスト・スモール(以下アーネスト・スモール論文と言う。大麻に関する資料集登載)、伊藤浩司に対する証人尋問調書写、WHO報告一六二頁を総合すると、リンネは一七五三年にカンナビス属が一種であるとしてカンナビス・サテイバ・エルと命名したが、その後ラムルクがインド産植物を別種のカンナビス属らしいとしてカンナビス・インデイカ(すなわちカンナビス・インデイカ・ラム)と名付け、次いでジャニシェフスキーが中央ロシア南東部に野生するカンナビス属をカンナビス・ルーディラリス(すなわちカンナビス・ルーディラリス・ジャニ)と名付けた(もつともジャニシェフスキーはこれを別種と断定せず、カンナビス・サテイバ・エル・バリエイタス・ルーディラリスとの変種名を与えた。)ことが、一属一種か多種かの論争の発端となつたのであるが、もともとこれらカンナビス属は完全に交配可能で生殖上の孤立性は認められず、また形態上の変異に実質的不連続性がないことが明らかであるから、「大麻」すなわち大麻草はカンナビス・サテイバ・エルの一属一種であると解するのが相当である。弁護人が所論の根拠とする「マリファナポテンシイ」著者ミッシェル・スタークス、「マリファナ栽培へのガイド」著者ドン・アイボリング、「カンナビスにおける分類学的木部分析の研究」著者ローラン・シー・アンダーソンの各記載は右認定を左右するものではない。なおアーネスト・スモール論文によると、大麻草がカンナビス・サテイバ・エルの一属一種であるということは英語圏、非英語圏を問わず植物学者の通説的見解と認められるうえ、我が国においても、「大麻及びその試験法について」昭和二九年四月二四日厚生省通知では「インドアサ(カンナビス・インデイカ・ラム)は生理的変種であつて植物上連続しているものと考えられる。」とされ、また冊子大麻(厚生省事務局麻薬課昭和五一年五月発行)にも「大麻草はくわ科カンナビス属のカンナビス・サテイバ・エルのみの一属一種である。」旨が理由と共に示され、いわゆる一属一種の公式見解が一貫して採られていることや大麻取締法の改正経過に照らしても、同法がカンナビス属にカンナビス・サテイバ・エル以外の種があることを前提にし、それを規制外とする趣旨で立法されたと解する余地はない。従つて本件品物が、結局同法の規定する「大麻」であることは十分肯認できるから、原判決に理由不備、事実誤認があるということはできない。

事実誤認の主張について(控訴趣意第二の二)〈省略〉

その他所論にかんがみ検討しても、原判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤り、事実誤認、理由不備はない。所論は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(小松正富 寺澤榮 苦田文一)

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